雑貨セレクトショップ mederu
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熱血先生とハリボー
いつの時代にも熱血タイプの先生はいて、そういうタイプが好きな子もいれば苦手な子もいる。それが自然だ。
私は、別に嫌いじゃなかった。小学校の時、授業を切り上げてすぐに屋上でギターを弾いて歌を歌いたがる先生が担任だった時があるけれど、私は授業より歌のほうが好きだったのでイヤじゃなかった。楽しく歌を歌っていた。
でも、姉はその先生がすごくイヤだったそう。どういうところがイヤだったのかと言うと、“生徒は皆楽しんでいるに違いない!”と思い込んでいるその姿、そして、それは結局“生徒を楽しませることができる自分が好き!”というのが見え見えで、そういったところがイヤだったそう。
当然、そんな風な思いは多少なりとも態度に出るわけで、姉もまたそういった先生に好かれておらず、いわゆる、贔屓されていなかった。だから益々両者の距離はひらくばかり。
今のハリボーもどちらかというと姉に近いタイプみたい。
熱血爽やかタイプの担任の先生の書く学級通信に「今日はみんなで○○しました!」「みんな口をあけて声を出して歌うことができました!」なんて書いてあると、「これ、みんなじゃないよ。一部だよ。」「口あけてれば文句言われないから口だけあけてる。でも声は出してない。」なんて言っています。ホント、かわいくない子です。
私はもちろん普通に注意もしておきます。「ちゃんと声出しなさい。」なんて、親らしく。でもそんなことは大したことじゃないと心では思いながら言っているので、そういうのも子どもには伝わっちゃってるんだろうなぁ、きっと。心は正直だから…仕方ありません。
そう、人間には心があるから、頭で考えた通りにはいきません。先生だって人間です。だから、自分と一緒にクラスを盛り上げようとしてくれる素直な子のほうがかわいいことでしょう。それも当然だと思います。(いや別に今のところハリボーへの評価が低いとは感じていませんが、もしそうでも当然だよな、ということ。)
しっかり者の女子たちはそんな先生が好きらしく、一緒になってクラスをよくしようとがんばっているようですが、中には、“先生がやって欲しいことは分かるからやってあげてる。でも心から楽しんでやっているわけではない。そんな単純なもんじゃない。”みたいなことを言っている子もいるそうです。(その子のお母さんが言っていました。ハリボーも「○○は他の(優等生)女子とは違う。わかってる。」と言っていました。)
う~ん、大人だわ。先生の要望に合わせつつ、冷静に見ています。
そう、そんな単純じゃないのよね、人って。
表面的なところだけを見て決めつけないで、もっと深いところを見て考察するっていうことが大事な気がする。(いやこれも別に今の先生がそうしていないということではなく、一般的に。)
深いところも見て考えた上である面を切り捨てて単純化することと、表面的なところだけを見てそれが全てだと安易に片付けてしまうこととは、出てくるものがたとえ似たようなものでも、中身は全然違うってことはよくある。
熱血先生とハリボーとの組み合わせ、見ていてなかなか面白いです。
ハリボーは今、とにかく色々な経験をすることが大事。色々な人がいることや、イヤなことでもやらなくてはいけないことがあることや、先生も人間で一生懸命やってくれているということを感じることなど、色々な人と色々な経験をして、少しずつ大人になっていって欲しい。
姉とも話しました。
学校時代には二度と戻りたくないけれど、今思えば学校での思い出って結構多いよね、と。嫌なことでも何でも、記憶に残っているということはそれだけ勉強になったということだ。
前に中村うさぎがこんなことを言っていたな。「学校は、自分に向いてないことを知るために行くところだ。好きだけど向いてないとか、嫌いだけど向いているとか、そういうことを知るために全部のことを一通りやらされるんでしょ。」
何が向いているかを知るため、というのはよく聞く気がするけれど、確かに、向いていないことを知るため、という面もある。
向いていることを知るよりも向いてないことを知るほうが多いくらいな気もする。
学生時代って大変だ。特に義務教育って…。ああ、終わってよかった!万歳!
ハリボーまだ続く。フフフ…ちょっと面白い。私にとっても初めての子育て、こういう面白さがあるとは思わなかった。
最近益々生意気になってきたハリボー、何か聞いても「分かんない。」と答えることが多くなってきた。
どっちか好きか、といったことでも「分かんない。」
「どっちが好きか、なんて自分の気持ちでしょ?同じなら同じでもいいよ。」
「分かんない。自分の気持ちが分かんない。」…こんな調子。
考えるのが面倒臭いの半分、本当に自分の気持ちが分からないの半分って感じ。こういう時期、自分にもあったような気もする。
少しずつ深く考えられるようになってきたけど、深く考えるのが面倒臭いっていう時期なのかな。
ハリボーがこうなった時は、私ももう分かんないので、放っておく。
よく男の子は「うるせえ!」「知らねえ!」「風呂」「飯」しか言わなくなるなんて話も聞くけれど、その前兆なのか?
こうなってきた時に、自分は親としてどうなるのかな?と思っていたけれど、今のところ、何とも思わない自分がいます。それが結構新鮮な発見だったりします。
前から“子どもが生意気になってきても自分はあまり何も思わなそうな気がするけれど、実際にはどうなんだろう。やっぱり悩んだりするのかな?そうなってみないと分からないな。”と思ってきたけれど、今のところ、“ま、別にいっか!”と特に何とも思わない自分に“へえー、やっぱり私ってそうなんだ!”って感じです。
姉にも話したら「あんたはそうだよ。」とあっさり言われました。
でもまだ分からない、とも思っています。これからか!?とも思っています。
ただウチの両親の血を継いでいるので…。
ウチの両親は、姉があと一日学校(高校)を休んだら退学になるという段階に来るまで事の重大さに気づいておらず(随分休んでいるな。サボっているな、と思ってはいたらしい。そうなる前にも先生から連絡もあったわけだし。)、姉の口から「高校をやめたい。」と直接出たときに初めて真剣に3人で話し合っていたのを覚えています。いつになく真剣に、和室で3人で話し合っていました。
でもその真剣さもどこまでだったのか…。「高校くらいは出ておいたほうがいいぞ。」と父に言われた、ということは後で姉から聞きました。母はただヒステリックに泣き、でも泣くだけ泣くといびきをかいて寝るような母でした。
そんな話し合いの結果、姉はどうしたかと言えば、結果的には無事(ギリギリ)卒業し、その先専門学校まで行き、資格を取り、今はやりたいことを仕事にしています。
「あの時、“何が何でも学校に行け!”と無理やり連れて行かれたり言われたりしなかったのが救いだった。」と後々、姉が言っていました。苦しいときに行かされていたら、生きていなかったかも、とも言っていました。
何がよいかは分かりません。
ただ、ハリボーの親は夫と私だけで、夫と私の子はハリボーだけ。それも何かの縁なのだろう。
周囲の人と関わりながらも、私達親子3人、自分たちのやり方で進んでいこうと思います。
雑貨セレクトショップ mederu(メデル)のホームページはこちら→http://mederu.jp/
私は、別に嫌いじゃなかった。小学校の時、授業を切り上げてすぐに屋上でギターを弾いて歌を歌いたがる先生が担任だった時があるけれど、私は授業より歌のほうが好きだったのでイヤじゃなかった。楽しく歌を歌っていた。
でも、姉はその先生がすごくイヤだったそう。どういうところがイヤだったのかと言うと、“生徒は皆楽しんでいるに違いない!”と思い込んでいるその姿、そして、それは結局“生徒を楽しませることができる自分が好き!”というのが見え見えで、そういったところがイヤだったそう。
当然、そんな風な思いは多少なりとも態度に出るわけで、姉もまたそういった先生に好かれておらず、いわゆる、贔屓されていなかった。だから益々両者の距離はひらくばかり。
今のハリボーもどちらかというと姉に近いタイプみたい。
熱血爽やかタイプの担任の先生の書く学級通信に「今日はみんなで○○しました!」「みんな口をあけて声を出して歌うことができました!」なんて書いてあると、「これ、みんなじゃないよ。一部だよ。」「口あけてれば文句言われないから口だけあけてる。でも声は出してない。」なんて言っています。ホント、かわいくない子です。
私はもちろん普通に注意もしておきます。「ちゃんと声出しなさい。」なんて、親らしく。でもそんなことは大したことじゃないと心では思いながら言っているので、そういうのも子どもには伝わっちゃってるんだろうなぁ、きっと。心は正直だから…仕方ありません。
そう、人間には心があるから、頭で考えた通りにはいきません。先生だって人間です。だから、自分と一緒にクラスを盛り上げようとしてくれる素直な子のほうがかわいいことでしょう。それも当然だと思います。(いや別に今のところハリボーへの評価が低いとは感じていませんが、もしそうでも当然だよな、ということ。)
しっかり者の女子たちはそんな先生が好きらしく、一緒になってクラスをよくしようとがんばっているようですが、中には、“先生がやって欲しいことは分かるからやってあげてる。でも心から楽しんでやっているわけではない。そんな単純なもんじゃない。”みたいなことを言っている子もいるそうです。(その子のお母さんが言っていました。ハリボーも「○○は他の(優等生)女子とは違う。わかってる。」と言っていました。)
う~ん、大人だわ。先生の要望に合わせつつ、冷静に見ています。
そう、そんな単純じゃないのよね、人って。
表面的なところだけを見て決めつけないで、もっと深いところを見て考察するっていうことが大事な気がする。(いやこれも別に今の先生がそうしていないということではなく、一般的に。)
深いところも見て考えた上である面を切り捨てて単純化することと、表面的なところだけを見てそれが全てだと安易に片付けてしまうこととは、出てくるものがたとえ似たようなものでも、中身は全然違うってことはよくある。
熱血先生とハリボーとの組み合わせ、見ていてなかなか面白いです。
ハリボーは今、とにかく色々な経験をすることが大事。色々な人がいることや、イヤなことでもやらなくてはいけないことがあることや、先生も人間で一生懸命やってくれているということを感じることなど、色々な人と色々な経験をして、少しずつ大人になっていって欲しい。
姉とも話しました。
学校時代には二度と戻りたくないけれど、今思えば学校での思い出って結構多いよね、と。嫌なことでも何でも、記憶に残っているということはそれだけ勉強になったということだ。
前に中村うさぎがこんなことを言っていたな。「学校は、自分に向いてないことを知るために行くところだ。好きだけど向いてないとか、嫌いだけど向いているとか、そういうことを知るために全部のことを一通りやらされるんでしょ。」
何が向いているかを知るため、というのはよく聞く気がするけれど、確かに、向いていないことを知るため、という面もある。
向いていることを知るよりも向いてないことを知るほうが多いくらいな気もする。
学生時代って大変だ。特に義務教育って…。ああ、終わってよかった!万歳!
ハリボーまだ続く。フフフ…ちょっと面白い。私にとっても初めての子育て、こういう面白さがあるとは思わなかった。
最近益々生意気になってきたハリボー、何か聞いても「分かんない。」と答えることが多くなってきた。
どっちか好きか、といったことでも「分かんない。」
「どっちが好きか、なんて自分の気持ちでしょ?同じなら同じでもいいよ。」
「分かんない。自分の気持ちが分かんない。」…こんな調子。
考えるのが面倒臭いの半分、本当に自分の気持ちが分からないの半分って感じ。こういう時期、自分にもあったような気もする。
少しずつ深く考えられるようになってきたけど、深く考えるのが面倒臭いっていう時期なのかな。
ハリボーがこうなった時は、私ももう分かんないので、放っておく。
よく男の子は「うるせえ!」「知らねえ!」「風呂」「飯」しか言わなくなるなんて話も聞くけれど、その前兆なのか?
こうなってきた時に、自分は親としてどうなるのかな?と思っていたけれど、今のところ、何とも思わない自分がいます。それが結構新鮮な発見だったりします。
前から“子どもが生意気になってきても自分はあまり何も思わなそうな気がするけれど、実際にはどうなんだろう。やっぱり悩んだりするのかな?そうなってみないと分からないな。”と思ってきたけれど、今のところ、“ま、別にいっか!”と特に何とも思わない自分に“へえー、やっぱり私ってそうなんだ!”って感じです。
姉にも話したら「あんたはそうだよ。」とあっさり言われました。
でもまだ分からない、とも思っています。これからか!?とも思っています。
ただウチの両親の血を継いでいるので…。
ウチの両親は、姉があと一日学校(高校)を休んだら退学になるという段階に来るまで事の重大さに気づいておらず(随分休んでいるな。サボっているな、と思ってはいたらしい。そうなる前にも先生から連絡もあったわけだし。)、姉の口から「高校をやめたい。」と直接出たときに初めて真剣に3人で話し合っていたのを覚えています。いつになく真剣に、和室で3人で話し合っていました。
でもその真剣さもどこまでだったのか…。「高校くらいは出ておいたほうがいいぞ。」と父に言われた、ということは後で姉から聞きました。母はただヒステリックに泣き、でも泣くだけ泣くといびきをかいて寝るような母でした。
そんな話し合いの結果、姉はどうしたかと言えば、結果的には無事(ギリギリ)卒業し、その先専門学校まで行き、資格を取り、今はやりたいことを仕事にしています。
「あの時、“何が何でも学校に行け!”と無理やり連れて行かれたり言われたりしなかったのが救いだった。」と後々、姉が言っていました。苦しいときに行かされていたら、生きていなかったかも、とも言っていました。
何がよいかは分かりません。
ただ、ハリボーの親は夫と私だけで、夫と私の子はハリボーだけ。それも何かの縁なのだろう。
周囲の人と関わりながらも、私達親子3人、自分たちのやり方で進んでいこうと思います。
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by mederu8
| 2012-07-17 09:00
| 日記
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